こんにちは、キタムーです。

今回は「諦める」の真の意味を知ることによって
「諦めない」とは何かを解き明かしていきたいと思います。

 

まずタイトルのようにスラムダンク
安西先生の有名なセリフがあります。

 

それがタイトルにも入れた
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
です。

 

かなり有名なのでほとんどの人が知っていると思います。

 

そしてこれを見た多くの人はあきらめないで頑張ろう!
という気持ちになったかと思います。

 

僕もそうですし、それ自体は間違ってないと思います。

 

それに世の中の多くの風潮として諦めないのが
大事というのはありますし、
実際に諦めなければ多くの物事を成し遂げられます。

 

でも逆に言うと諦めるなということになるので
一回始めた事は辞めたらダメなのか?
とも言いたくなります。

 

そういう流れになってくると、
例えばスポーツ選手。

 

晩年を迎えた現役引退間際の選手は誰しも
まだ諦めたくない。
まだまだやれるはずだ!
と言って頑張り続けます。

 

しかし、どんなにスーパースターでも
引退=現役を諦める日はやってきます。

 

あのイチローでさえも。

 

という事は諦めたやつはダメな人間なのか?
と言われると全くそんな事はないですね。

 

で、前置きが長かったのですが
ここからが諦めるの真の意味についてです。

 

実は「諦める」は仏教の世界では
「明らめる」といいます。

 

つまり、事実を明らかに見る
現実を直視してありのままに受け入れる。
という事を意味します。

 

なので以下のようになります。

 

☓諦める=断念
○諦める=明らかにする

 

これって深くないですか?

 

諦めるって事は何かを投げ出して断念した
って意味だけじゃないんです。

 

そう考えると全ての辻褄が合う気がします。

 

先程のスポーツ選手の引退の話も
冷静に事実を直視したところ、
(=明らめたところ)

 

「もう自分の年齢や能力では
プロとして契約してもらえないし、
レギュラーはおろか控えとしても活躍できる力がない。
だから引退しよう」

 

という事です。

 

もちろん、最初から引退する選手に対して
現役を諦めた負け犬、弱者だと感じる人は
いないでしょうが冷静に分析するとこういう事です。

 

ほかの例としては就職して会社に勤めたけど辞めた。

 

これはその会社で働き続ける事を諦めたわけじゃなくて、
その会社は自分に合ってない、その仕事は自分に
向いてない事を明らめたのかもしれません。

(当然、単純に辛いことから
逃げただけという状況もありますが)

 

僕も昔は一応頑張って会社に就職して雇われて
働こうとしていた時期もあったんですが
最終的に明らめました。

 

「自分は雇われて働くより独立した方が
能力を発揮できるし、楽しいんだ」

 

そう思って個人事業主としてやっていたりするわけです。

 

もうちょっと話を飛躍させると、
「なぜ生きるか?」
「なぜ生きる事を諦めないか?」
という話にもつながります。

 

なぜ人生を生きるかと言うと…
それはまだ人生が全然明らかになっていないからです。

 

自分が知らない事や体験した事のない
事なんて山のようにあります。

 

それを知るために生まれて来たんじゃないでしょうか?

 

もっと言うと僕はまだまだ自分自身が
何者なのかも明らかになっていません。
なんの為に生まれてきたのか?

 

もしかしたら答えなんてないのかもしれません。

 

だとしても…

 

それを知るためにも人生を諦めたくないし、
人生を明らかにしていきたいと思います。

 

逆に全ての知識を知って、世界中の事も全部分かって
生きてて学ぶことが何一つないとしたら
生きている意味なんてないでしょう。

 

という事でそろそろ終わりにしたいと思います。

 

安西先生の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
からだいぶ話が飛躍しましたね(笑)

 

安西先生も

「私だけかね…?
 まだ勝てると思っているのは………
 あきらめる?
 あきらめたら そこで試合終了ですよ…?」

 

このように言っているので
まだ試合の結果は明らかになっていない。
だから諦めてはいけないって解釈する事もできます。

 

まぁ別にこのセリフにここまでの
深い意味が隠されているとは思いません。

 

個人的にインスピレーションを受けて
勝手に話を膨らませてだけです。

 

それでも何か参考になったり、
1つでも学びになったら嬉しいですね。

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