こんにちは、キタムーです。
ずっと前から密かに確信していた事があります。
それはタイトルにあるように
「ドラクエで遊び人がレベルを上げると賢者なれる理由」
についてです。
ドラクエをやった事がある人は分かると思うのですが
一応説明しておきます。
作品によってシステムは違うのですが
ドラクエ3では戦士、武闘家、僧侶、
魔法使い、遊び人などの誰でもなれる
デフォルトの職業があります。
このデフォルトの職業以外に
賢者という特殊な職業があります。
賢者以外の職業は誰でもなれるのですが、
賢者になるには「悟りの書」というアイテムが必要になります。
しかし、この「悟りの書」は何個もあるわけではないので
賢者になれる人数は限られています。
なのですが、遊び人だけは違います。
遊び人だけがレベル20になると
本来必要となる「悟りの書」無しに
賢者に転職できる。
遊び人だけがレベルを上げると賢者になれる。
個人的にこれは深い意味があるのではないかと確信しています。
遊び人→賢者という図式を見ると
単純に遊びまくる、もしくは遊びを極めると
悟れるという捉え方も出来ると思います。
なのでこれは
「よく遊ぶ人間の方が成長できる」
という事を暗に伝えているのではないか?
逆説的だけどアホなことしてる方が賢い的な。
でもこういう人って日常にいません?
なんか遊び人っぽいんだけど、
頭は非常にキレて意外と賢いなって感じる人。
一般的な考え方としては真面目に
なんでもキチッとしたほうがいい。
ふざけてはいけないみたいな。
そういう風に教育であり、
洗脳をされているわけなんですが
実は違うんじゃないかなと。
遊ぶと言うのは意外とクリエイティブな作業なんですよね。
まぁ遊ぶの定義にもよりますが。
ただ単純にスマホやTVゲームをするのも遊びなんですが、
今回の意味合いとは少し違います。
確かにああいったものも楽しいんですが、
自分でクリエイティビティーを発揮しているかというと微妙です。
何故なら誰かが作った物で
遊んでいるに過ぎないからです。
これは別にスマホやTVゲームを否定しているわけじゃないですよ。
僕も好きなのでゲームはちょいちょいします。
でも今回の「遊び」の定義は
自分で想像性を発揮する遊びの事です。
例えば、バス停でバスを待っていて
なかなか来ないな〜と時間を持て余すとします。
そこで僕を含めて大抵の人はスマホをチェックしたりします。
「あー暇だな。なんかネットでもチェックしよう」
「スマホゲームでもしよ」
こんな感じで。
これはゼロからイチを生み出すのではなく、
既に作られている遊び場で遊んでいるイメージです。
一方、ゼロから遊びを生み出せる
遊び人の場合はどうでしょか。
例を出すと、流れ行く車のナンバープレートを
暗記して記憶力を高めようと遊び感覚で始めるとします。
これって一種のゲームであり、遊びですよね?
これは自分の頭で考えないと出来ない事です。
ゲームのアプリをインストールされているスマホを
「はい、どうぞ」と渡されたら誰でもゲームはできます。
でも、ただ流れ行く車を見て、
暇で退屈だなと思うか
ナンバープレートをゲーム感覚で
暗記するかはその人の想像力にかかってきます。
これが創造性を必要とするという意味での「遊び」じゃないでしょうか。
つまり、さきほど言ったように遊ぶと言うのは
意外とクリエイティブな作業というわけです。
だから遊べるということはアタマが柔らかくて
想像力に富んでいるので実は仕事をやらしても
能力が高い人が多いんじゃないかと思います。
僕が昔読んだこの本にも書かれていました。
もちろん真面目な事はいいんですが、
真面目すぎると良くないわけです。
真面目過ぎるとこれはこうじゃないといけない、
これは絶対にこうするべきだみたいに
発想が凝り固まっちゃうわけですね。
もしかしたらドラクエの遊び人も
辛く長い戦いの中パーティーが
行き詰まらないように楽しませようと
想像力を発揮していたのかもしれません。
これはあくまで僕の考えなので
間違ってるかもしれないし、
合ってるかもしれない。
というかそもそも正解なんてないのかもしれない。
でもそれでいいんです。
大切なのは自分のフィルターを通して日常を見ると言うことです。
何も考えずにただ物事を見てるだけだと
「あぁドラクエの遊び人ってレベル20になると悟りを使わずに賢者になれるのね」
と言う事実だけがある状態です。
けれどそこに自分なりの解釈や視点を
盛り込むだけで新しい価値が生まれるわけです。
という事で僕も遊び人を目指したいと思います。
遊び人になれれば日常のつまらなく思える事も
遊べてもっと楽しく生きられますからね♪