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嫌いなことは1%でさえ立入禁止!
人生のホーリーグレイルを汚す「嫌いなこと」は
1%ですら立入禁止にしたい。
そんな目標があるキタムーです♪

今日は嫌なことでもやり続けた方がいいのか?
それとも逃げたほうがいいのか?

 

トマトについては誰にも負けない
憎しみと怒りを抱いている
僕がトマトを例題に説明しよう(笑)

今は東京に居ますが
大阪時代の小学校での給食時の話。

 

先生「給食は嫌いなものでも残さず全部食べましょう!」
オレ「は?なんだそりゃ?」

 

と子供心からずっと疑問に思っていたのですが
改めてその意味や必要性をぜひ誰か教えて欲しい(笑)

 

僕の体はトマトを受け付けないし、
嫌いだという事実がある。
だから食べない。

おいしくもないし、食べたところで
栄養になるとも思えない。

 

もし本当に栄養になるとか体にいいという理由だけであれば
カエルやミミズを食べるといい。

確か栄養素高かったような(違ったかな?)
ミミズは精力アップに良いそうですw

 

どんな最もらしい理由があろうとその人にとって
嫌いなものは嫌いって事ですよね。

小学校の時から僕は自分を貫いてたので
何を言われても食べなかったです。
というか食べれなかった(笑)

 

でもそんな事より何より酷いのが
「食べるまで遊ぶな!」
と先生に言われたことです。

なのでみんなが遊んでる休み時間中
ずっと廊下で正座して食べれない
トマトと給食のお皿を見つめて泣いてたんですよね…

 

あれは優しい少年の心に深いトラウマと
大きな傷を与えてくれたのであった。
(トラウマも傷も一緒か)

 

前から思うんですけどそんな
学校教育はおかしいですよね?

 

そう小さい頃から洗脳されて社会に出てからも
嫌なことを我慢するのが当たり前だ。
そうやって生きていくのが人生。

こんな感じで自分の本当の欲望に目を背けて
疲れきったロボットのような人生を
送っている人は多いと思います。

 

だから、
嫌なことでもやり続けた方がいいのか?
それとも逃げたほうがいいのか?
と改めて考えてみたわけです。

その結論を僕の経験から言うと…

 

基本的には嫌な事をしたり我慢という概念は
捨てた方がいいし、時には逃げるのもありです。

例外は「これをやれば自分の成長に関係してるな」
と心から思えるものであれば多少嫌でもいいかもしれません。

 

例えば、人見知りで悩んでいる人がいたとします。

その人は初対面の人が嫌でしょうがないので
あまり人の集まる所に出かけたがりません。

この人は嫌な事を避け続けているわけですが
それは良いことでしょうか?

 

答えはNOですね。

なので目的があってそれに必要な事であれば
多少嫌と感じる事はありです。

 

僕はトマトが大嫌いだと言いましたが
トマトを食べないとあと3日で死ぬ
って言われたら食べるかもしれません(笑)

でも盲目的に毎日辛くても働くのが常識で当たり前だ!
みたいに思考停止で嫌な事をやってるのがダメって事ですね。

 

 

そしてもうひとつ気になる事
「嫌いな人との付き合いも逃げてはいけない、
自分の成長につながる。」
みたいなこと言いますけど、

これも本当なんでしょうか?
「いや、絶対に嘘だろ」
って思うんですよね、僕は。

 

確かに多少学ぶことがあっても
ストレスが貯まって疲れきってしまうような人と
一緒にいるくらいなら一緒に居てエネルギーを
もらえる人と付き合ったほうがいいに決まってる。

というか自分の好きな事や好きな人と
付き合いながらだって全然成長できますよね?

今なら嫌いな人間と付き合う意味は
1%もないって断言できますね。

 

確かに昔はネットなどの環境なかったので
自分の生きていくコミュニティというのは極めて限定されていた。

自分の地域や近所や学校、会社。
ある種の縛りや制限は多分にあったわけです。

なのでその考え方は有効だったかもしれません。

 

けれど今はそんな時代じゃない。
Facebookとかのように
別にいつでも好きな人とつながることができる。

別に学校や社会でつまはじきにされたところで、
ネット上で新たな自分の居場所見つければいいだけ。

 

なのでもう一度言いますが、
嫌いな人付き合う必要性は1%もない。

なので僕はこれからそういう生き方が
完全に出来るように頑張ってるわけなんですよね☆

 

現時点で嫌な人と一緒に過ごさないと
いけないパーセンテージは10%くらいかな?(笑)

なので今後5%を目指していきますよ!

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