いつから努力と言う言葉は汚されてしまったのか?
本来の言葉の意味はもっと美しい感じなんですが
いつの間にか「嫌なことを無理やり根性でやる」
みたいなイメージになっている気がします。
もしかしたらなんとなく努力なんて
暑苦しくて嫌いって人もいるかもしれません。
でもそもそも努力が嫌いって言うのは
恐らく2つ意味があると思います。
1.本当に何も頑張るのが嫌い
2.根性で無理やりやる感じが嫌い
僕も当然2なので努力が嫌いって言っても
何もしないで適当に生きればいいってわけじゃない。
自分がしっくり来るのは努力より「向上」とか「進化」かな。
それは人それぞれ何でもいいと思いますが。
でも1番言いたいのは
「努力をするなら適性フィールドで!」
「好きでやるならもはや努力じゃない 」
という事です。
諦めないでやれば道が開けるって言うのは
自分の適性があるフィールドでやる場合の話だと思います。
例えば30歳越えてから医者になる!プロ野球選手になる!
って超頑張るのは当たり前だけど努力じゃない。
(ま、医者はなれる可能性はゼロじゃないけど、
少なくともプロ野球選手は限りなくゼロですよね
そして1つの事を諦めないで続ければ
結果が出るってのも違うかな。
確かに結果は出ると思いますが、
その為に血の滲むような、
体調崩してまで追い込むのは違いますよね?
だから前提として、自分が好きな事、
向いてる、才能があることに関しては
諦めない方がいいって事です。
じゃないと、全然自分に向いてない、
楽しくもない仕事で入ったのがブラック企業とか
だったらヤバくないですか?
「おまえが結果でないのは努力が足りないからだ!」
みたいに洗脳されて頑張り続けて体調を崩していくし
人生も楽しくない状態になっていくと思うんですよね。
そこが努力って言葉の怖いところだし、
落とし穴的な感じがします。
なんでも努力が足りないって言えば
まかり通るみたいな。
僕が思うのは今は異常なくらい選択肢があるので
色々試して嫌ならやめればいい。
そのうちきっと自分に適正がある
仕事とかが見つかると思んですよね。
そこで努力をして諦らめなければいい。
というか向いているならすぐに向上して
結果が出るだろうし好きになる。
好きだから向いてるっていい方ももちろん出来る。
そうしたら自然と努力って言葉は出てこなくなる気がします。
だから本来努力っての存在しないのかもしれない。
あらためて言うと
全然向いてないのに努力が足りないとか、
1万時間の法則みたいなことを言い出して
「努力や頑張りがおまえは足りない」
「もっと死ぬ気でやれ!」
みたいに相手を責めるのは時代錯誤もいいところ。
「いや、能力がないんじゃなくて向いてないだけだから」
ただし、前提としてなんでもまずは全力で取り組むこと。
じゃないと本当に向いてるか、
好きか嫌いもわからなかったりする。
力を出し切って結果が出ない、
違和感を感じる、楽しくないのであれば
もはやそれは自分の適性フィールドじゃない
ってことだと思います。
別に頑張りが足りないわけじゃない。
みんなそれなりに頑張ってるし。
絶対そうですよ!
みんな頑張ってますよ、人生。
そんな時は1度立ち止まって、自分が進む道は
これで合っているのか?
と、自問自答した方がいいですね。
きっとみんな向いてないことをやってるから
頑張ってるのに報われなくて絶望感を抱いてるだけ。
そんな事は辞めちゃっていいんじゃないでしょうか?
別に1つの事をずっとやるのが美しいって価値観がすべてじゃないし。
「時代は変わってるのでその時代なりの生き方がある」
と、僕は思いますね。