どこかで高校時代に一緒にバンドやってたやつが
自殺したって重いテーマの話を書いたんですが
それに関連するテーマで今日は書きたいと思います。

 

昔、
「死ぬ確率と法則」
みたいのを凄い研究してました。

簡単に死ぬ人もいれば
何があっても死なない人もいる。

簡単に死ぬ善人もいれば
しぶとく生き残る極悪人もいる。

とか。

 

これは何故なんだ?!
って疑問が止まらなくて
何か法則があるのかな〜って
ずっと考えてたりしてました。

 

分かりやすい例でいつも言うのが
ジャッキー・チェン。

どう考えてもても死に向かって
アクセル全開で進んでるようにしか見えない。
が、全然死なない。
(最近はもう危険なアクションは引退したみたいだけど)

 

例えば
・命綱なしでヘリコプターに吊られる
・時計台から手錠かけられたまま頭から落下
・超高層ビルの上での格闘シーン

簡単な公式を出すと

「危険な事×その回数=死亡率」

 

つまり単純に考えて危険に瀕する機会が多いほうが
死ぬ確率が高いかなと思ったけど、
冷静に考えてみるとそんなこともない。

普段あまり出かけない人が
たまたま出かけたところで
事故に巻き込まれて死ぬなんて事もよくあることだ。

 

逆に知り合いで原付に乗ってて
対向車はみ出して正面衝突して
「あ〜れ〜」って感じで吹き飛ばされたけど
ほぼ無傷だったって言ってたやつもいるし(笑)

 

 

もう1例を出すと
暴走を運転を繰り返してた僕のじいちゃんは
しょっちゅうどこかの壁とかに車をぶつけたりしてたけど
人を怪我させたり、自分が怪我したりすることは一切なかった。

そんな感じで生死に関して昔から不思議に思っていました。

 

で、なんとなく仮説として思ったのは
「生きる」、「死ぬ」って概念に優劣があるのではなく、
全てはインスピレーションだってこと。

全ては
「何かしらの影響を誰かしらに与えているに過ぎない」

 

さっき生きる側での例として
ジャッキー・チェンを出したので、
今度は死ぬ側で例を出します。

(ちなみにジャッキーの与えてる影響は
わかりやすく簡単に言うならば
「勇気」とか「生きる力」って言えるかと思います)

 

で、逆のパターンとして
美人薄命とか、強烈なカリスマを持った人は
短命な運命になる事が多い気がします。

ぱっと音楽系で思いついたのが
ZARDの坂井泉水とか尾崎豊とかhideとか。

 

これが何を意味するかというと
短命である故にその価値が圧倒的に高まる。
より高い影響を世の中に及ぼすのではないか?
と勝手に仮定。

もちろん、長生きしてもその価値や与える影響が
減るとまでは言わないけど、やっぱり短命だと伝説になる。

 

そして人間は生きていれば絶対に老化や衰えが
生じるものだが死んでしまえば、そこで完全に止まる。

ということはこれが彼らなりの影響の与え方だったのかなと。
もちろん、それは彼らが決めることじゃなくて
分かりやすい言い方をすれば神が決めること。

 

 

もう一度まとめると、
生きてる→優位
死んだ→劣勢

じゃなくて、どちらもきちんと意味があって
必要なことなんじゃないかなと感じます。

 

不謹慎かもしれないけれど
死ぬことは人生の目的の1つなんじゃないかと思ったりもする。
だから死ねないということは、
まだこの現実世界にやり残したことがあるからこそしれない。

 

逆に死ねるというか「死んでしまう」と言う事は
この世界での目的を達成したから死を迎える。
そーゆー言い方もできるんじゃないかと思ったりする。

 

でもその考えだと、
「自殺というのはどういうポジションにあるのか?」

そんなことも
冒頭の高校時代、一緒にバンドやってたやつが
自殺した時に久しぶりに考えさせられました。

 

もちろん未だに答えは出ていないし、
答えなんてないのかもしれない。

けどやっぱり言えるのは全ては
インスピレーションであるということ。

 

確かに人の死を見るのも
自殺されるのも悲しいことであるには違いない。

けれどその出来事に直面する事によって
周りの人にこういう事は良くない
と言う学びを与えてくれてるのかもしれない。

もっと生きることに真剣になろうとか
教えてくれているのかもしれない。

 

という事は自殺も

「何かしらの影響を誰かしらに与えているに過ぎない」

 

その1つの役割を
全うした事に過ぎないのかなと思ったりします。

簡単に死ぬ善人もいれば
しぶとく生き残る極悪人もいる。

 

もっと追求していくと、前世との関わりがあったりするんじゃないか
って言うのは凄い昔から確信してることなんですが
これ以上書くと長くなりすぎるのでこの辺で終わりにします。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事