孤独というのは物理的な孤独より
精神的な孤独の方が堪える。
「大好きな人に常に愛されていて幸せ」
という感情を持ちつつ、
1週間たった1人で部屋で過ごすのと、
誰にも愛されず、受け入れてもらえずに
1週間人ごみで過ごす。
絶対に後者の方が苦しいはず。
孤独というのはわかりやすく言うと1人という意味。
そういう意味であれば人がたくさんいる場所に
いるということは孤独ではないはず。
でも実際はそんな安易じゃない。
だから孤独というのはどちらかというと
精神的な意味合いの方が強い。
最近はそうでもないですが、
昔は人と一緒にいる時の方が
孤独感を感じていました。
どこか自分の本質、
本当の自分と他人が混じり合えない気がして。
分かりやすく言えば自分が「油」で
他人全員が「水」みたいな(笑)
だから逆に一人でいる方が安心感があったりした。
自己重要感の欠如と言えば
いじめなんかもそうですよね。
いじめというのは肉体的孤独と精神的孤独の
掛け算なので非常にダメージが大きいです。
悲しいことにいじめで自殺してしまう人もたくさんいます。
でもそういった人でも、たった1人でもその人の気持ちを
わかってあげれて心から受け入れてくれる人が
いればもしかしたら死なずに済んだかもしれない。
彼らに必要なのは学生であれば、
無理に学校にいくことじゃない。
心のダメージを癒すことだと思います。
だから引きこもってしまうのは悪い事じゃなく
人間の反応として正常であり、それでいい。
別にいじめだけじゃない。
心に病を抱えてしまう人とか、
何か依存症になる人とか、
DVとかで暴力をふるってしまう人とか。
これらも自分の気持ちを受け入れてもらえないとか
わかってもらえないという孤独感が
具現化されたに過ぎないと思っています。
人それぞれ自分の世界観や譲れないものを
持っているのはもちろんわかります。
でも、一人一人が少しだけ心を広げて、
相手を受け入れる強さを持てば
世界はもうちょっと良くなるんじゃないかと思います。
なんでこんな事を言うかというと
自分自身が頻繁に孤独を感じてきたからです。
別にいじられたとかそういうわけじゃないけど、
自分の感じる事と世の中の差異みたいな部分。
たった一人自分が正しいと思うことなんて、
常識という濁流の中では無力そのもの。
簡単に飲み込まれて消えてしまう。
それでもその濁流の中で溺れながらも
自分を貫いてきたつもりだし、常識にも抗ってきた。
孤独という暗闇が想像力の翼を授けたのもまた事実。
果てしなく続く暗闇に風穴を
開けるが如く光を求める作業…
時には孤独感に苛まれるのも
成長という意味ではいいですけど(笑)
でもそういった孤独感にどっぷり
浸かるのもそろそろ終わりにしたい。
やはり人間として生きているので
誰かに理解されたいとか、
誰かに受け入れられたいとか
そういう部分は当然あります。
だけど批判を恐れて自分の言いたいことが
言えないみたいな状態ではいたくない。
別に批判されてもいい。
それでも本当の自分で生きていたい。
だから今日も孤独を脱出するため、
仲間を求めて文章を書いているということにしておこう♪