こんにちは、キタムーです。
飲食店の店長が過労のため自殺してしまった話を
以前ニュースで見たのでそれについて書きます。
とりあえず何が言いたいかというと…
ぶっちゃけもっと不真面目でもいいと思うんですよ。
日本人なんて民族的に真面目遺伝子が
組み込まれてるんじゃないか?
って思うほど基本真面目なんで
不真面目を狙うくらいでちょうどいい。
だいたい自分がいなくなっても大抵の事はなんとかなるんで。
もし自分がいないと仕事が回らないとか
思ってるなら自分を過大評価してるんじゃないかと。
ジョブズ程の存在が死んじゃっても
普通にアップルもMacもあるし。
さっきの店長もきっと真面目で責任感が強いので
もう心身ともに働けないのは自分で分かってるけど
無理して頑張ったのではないかと思います。
もちろん自分がいないと云々ってだけじゃなくて、
お金の問題、家族の為とか
そりゃ理由は色々あったと思いますよ。
責任感が強い、真面目。
お金の為、家族の為に頑張る。
それは素晴らしい事だと思う。
でも死んじゃったらなんにもならないじゃん!
って話ですよ。
そんな風になっちゃうなら
そもそも真面目なんていらないんじゃないか?
もっと適当で良くないかって事です。
別にその程度で日本が崩壊とか絶対にしないと思います。
「死」という言葉で高校時代に一緒にバンドを
やってたドラムのやつの事を思い出した。
高校時代の同級生に会った時に、
オレ「N(ドラムのやつ)元気?」
同級生「Nは死んだよ…」
オレ「え?なんで?!」
同級生「自殺した…」
オレ「マジで?!…(絶句)」
理由は何があったのかは詳しくは知らない。
でもやっぱりその時に思いました。
死んだら終わりだな、と。
どんなに辛い状況や晴天の未来が見えない状況でも。
魂レベルでは終わりはないと思うけど、
肉体レベルでの終焉は確実にあるわけ。
だったら別に自分で早める必要もない。
だいたい自分の意志とか関係なく
生まれてきたんだから自分の意志で
死なないほうがいい。
(もちろんスピリチュアル的には
生誕は自分の意志なのかもしれない)
ボロボロになるまで生き抜いてやろうとも
自分も思わないけど、
早まるな!とは言いたいですね。
いったん適当に、不真面目になったら
実はなんともなかったりするわけでしょ。
(僕も昔は結構何事も深刻に考えすぎていて疲弊していました)
冒頭の過労死の件も仕事に
行かなきゃいいだけじゃないですか。
別に家賃払えないなら、
滞納するとか生活保護を受けるとか
色々まだ選択肢は全然あるわけですよ。
「死ぬ」って事に比べたら。
やはりそこは日本人の他人に恥ずかしいって
思われたくないみたいな美徳的な部分も
潜在的にあるかもしれないって思ってしまいました。
確かに日本人特有の真面目さ、
几帳面さ、勤勉さは美しい。
自分自身も典型的な日本人だな
と思うのでそこは誇りに思っています。
でも、もうちょっとゆるくても良くないか?
って事です。
例え、自己破産したとしても生きてたら
どんな形でも地球や世の中に
お返しする方法は全然あるぜ!
って想いますね。
ということで
「死ぬまでは生きよう!」
「生きよう!死ぬまでは!」